2017年
H1820×W4550mmx2組
この作品は当時、街中の人々のドローイングを行う中で感じたことをテーマにしています。
それは匿名性を持った群衆と、その群衆は一つ一つの個、個性を持った存在で成り立っている、という一見相反する関係がひとつながりであること。そしてそこには曖昧さや危うさ、一種の安心感が潜んでいるのではないか、ということです。
群衆の答えが正解とは限らない中で、個として声を上げづらい場面。
群衆の主張を鵜呑みにして、個としての熟考を停止してしまう場面。
いつか個の存在は、群となって大きな一つの存在となってはいないでしょうか。
もちろん一人一人が感じ考え、多くの思いが純粋に一つになる、それは素晴らしいことです。
だからこそ群衆の一部としての存在であっても、個としての意思を持ち、存在して欲しい。自分もそうありたい、考えることから逃げずにいたいと思っています。
このようなテーマの表現と、作品を通しそれぞれの日常の価値を再考するきっかけを与えるため、作品の支持体には透明のポリカーボネート板を使用し、2枚の画面を重ねる形で設置、その間を人が通過できる作品としました。
個である鑑賞者は作品の群衆をまず客観的に捉えることができます。2枚の間を通り抜けた際は、群衆の一部となります。また、もしその様子を見ている2人目の鑑賞者がいる場合、1人目の観賞者は群衆として捉えられます。
このような体験によって、日常においても個と群は常に入れ替わり、主観・客観によっても存在のあり方が変わることを再認識できる作品を目指しました。